2008年07月01日
飾り馬初奉納
北二分団また水道町の名前での飾り馬奉納は戦後すぐより始まってしましたが、昭和30年から「水道町親和会」での飾り馬奉納が始まります。
下の写真は、飾り馬初奉納の時の写真です。
何故その時の写真と判るかと言いますと、この白ハッピでの奉納は、樽みこしの奉納と初参加の時だけしか使われなかったのです
当時、白のハッピは子供用との意識が有ったようで、黒のハッピにしようとの声が高まり背中に「水」の文字を平和の象徴「ハト」の形にデザインしたハッピを新調し、31年より黒いハッピで参加しました。
黒のハッピは、背中の「ハト」の紋を藤崎宮のご紋「下り藤」へ変更しましたが、平成5年まで続きました。

下の写真は、飾り馬初奉納の時の写真です。
何故その時の写真と判るかと言いますと、この白ハッピでの奉納は、樽みこしの奉納と初参加の時だけしか使われなかったのです
当時、白のハッピは子供用との意識が有ったようで、黒のハッピにしようとの声が高まり背中に「水」の文字を平和の象徴「ハト」の形にデザインしたハッピを新調し、31年より黒いハッピで参加しました。
黒のハッピは、背中の「ハト」の紋を藤崎宮のご紋「下り藤」へ変更しましたが、平成5年まで続きました。
2008年06月26日
初奉納
昭和28年頃、樽みこしでの初奉納時の写真です。

千歳農園の看板の横に現在のままの教会、その隣の井上洋服店の看板の所が、現在のビラージュビルです。
現在も残っていらっしゃる方では、竹矢前会長の弟さんが、参加されていたそうです。
交通量も少なく、車が信号に3台停車すると「3台も車が止まっとる!」びっくりして見に出たそうです。
ハッピの色も白です。さすがにこのハッピは残っていません。

千歳農園の看板の横に現在のままの教会、その隣の井上洋服店の看板の所が、現在のビラージュビルです。

現在も残っていらっしゃる方では、竹矢前会長の弟さんが、参加されていたそうです。
交通量も少なく、車が信号に3台停車すると「3台も車が止まっとる!」びっくりして見に出たそうです。
ハッピの色も白です。さすがにこのハッピは残っていません。

2008年06月23日
奉納6番の馬追い
昭和30年代の頃の「水道町親和会」の馬追風景です。

飾り馬の飾り(陽陰)につけてある奉納順が六番ですね。
こんな時代もあったということでしょう。
左奥に藤崎宮の外鳥居が見えます。場所は広町のS字カーブの所でしょうか?
市電の軌道が見えます。上熊本駅前~藤崎宮前~水道町~体育館前と
運行されていた④番電車のものですね。
当時の勢子は纏(まとい)で馬を追うのが粋と考えて、
花笠や扇子は持っていませんでした。
最近の祭は、ルール違反の髪型や服装でしか自己表現できない
勢子も多々見かけますね。
本来は元気よく馬を追っていくのが粋なんでしょうけどね・・・
サングラスのお兄さんは数人いますが、服装も乱れていません。
さすが水道町親和会といったところでしょうか。


飾り馬の飾り(陽陰)につけてある奉納順が六番ですね。
こんな時代もあったということでしょう。

左奥に藤崎宮の外鳥居が見えます。場所は広町のS字カーブの所でしょうか?

市電の軌道が見えます。上熊本駅前~藤崎宮前~水道町~体育館前と
運行されていた④番電車のものですね。

当時の勢子は纏(まとい)で馬を追うのが粋と考えて、
花笠や扇子は持っていませんでした。

最近の祭は、ルール違反の髪型や服装でしか自己表現できない
勢子も多々見かけますね。
本来は元気よく馬を追っていくのが粋なんでしょうけどね・・・
サングラスのお兄さんは数人いますが、服装も乱れていません。
さすが水道町親和会といったところでしょうか。
2008年06月22日
藤崎宮参道での馬追い
昭和41年の熊本日日新聞に掲載された
「水道町親和会」の馬追いです。
人数からみて多分飾り卸しですね。
ということは、9月14日の新聞ということでしょうか?

私が小学生の頃は、飾り卸しの日は「地域祭」ということで
学校も協力的で「給食食べたらすぐ帰っていいよ!」と先生も
言ってくれていました。
いつの頃からだろう?「学校は地域祭に協力できない。」となったのは。
今の状況は、とても残念です。
子どもの頃から氏子として、地域の祭を愛する人になって
もらいたいものです。
この頃は馬も小さかったようですね。
私の父が左端に写っています。私も出ているはずなのに見あたらない。
「水道町親和会」の馬追いです。

人数からみて多分飾り卸しですね。

ということは、9月14日の新聞ということでしょうか?


私が小学生の頃は、飾り卸しの日は「地域祭」ということで
学校も協力的で「給食食べたらすぐ帰っていいよ!」と先生も
言ってくれていました。

いつの頃からだろう?「学校は地域祭に協力できない。」となったのは。
今の状況は、とても残念です。
子どもの頃から氏子として、地域の祭を愛する人になって
もらいたいものです。

この頃は馬も小さかったようですね。
私の父が左端に写っています。私も出ているはずなのに見あたらない。
2008年06月21日
水道町親和会の前身、「北2分団」
「水道町親和会」は藤崎八旛宮に飾馬を奉納して50数余年になりますが、
その前身は、熊本市の消防団「北2分団」でした。

後列中央が水道町親和会の会長を務めた私の祖父の米島真二です。
この写真は、おそらく昭和20年代のものと思われます。
場所は、新町のYMCA横の公園でしょうか?
北2分団は城東小学校校区の消防団で、昔は消防団が飾馬を奉納していたんですね。
ちなみに「鳥居基」さんの前身は、「北1分団」です。
その前身は、熊本市の消防団「北2分団」でした。


後列中央が水道町親和会の会長を務めた私の祖父の米島真二です。
この写真は、おそらく昭和20年代のものと思われます。

場所は、新町のYMCA横の公園でしょうか?

北2分団は城東小学校校区の消防団で、昔は消防団が飾馬を奉納していたんですね。

ちなみに「鳥居基」さんの前身は、「北1分団」です。


